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台湾略史


5分で読める台湾の歴史」を念頭に書いています。話題の特性上、政治的な事にも触れますが、個別の政党名や政治家の氏名は、史実として有名なものを除いて挙げていません。また、この文書は本サイト管理人個人が記したものであり、江寰≠竭苻p側サイトの主張ではない事に十分御注意下さい。江寰℃ゥ身は、慎重とも言える程に政治との関わりは避けている事も書き添えます。



位置と人口
 日本の南西に浮かぶ九州とほぼ同じ面積の亜熱帯の島です。現在の人口は約2000万人強です。

清代以前
 マレー・ポリネシア系の先住民が居住していました。大航海時代以後、オランダ、鄭氏政権が各々短期間支配した後、清国が出先機関を置き、大陸(主に福建南部)からも人が移り住みました。しかし、清国は台湾を正式な自国領とは扱っておらず、台湾全島を実効統治しているとは言えない状態でした。

日本統治時代
 19世紀末、日清戦争の結果正式に日本領土となり、初めて近代国家の統治下に入りました。今日では戦争による領土拡張は許されない事ですが、日本の台湾領有は当時の国際ルールに従ったものであり、特段の非難には値しません。
 日本の台湾統治は世界の植民地の歴史の中では穏健な方で、成功した事例と言えます。勿論、日本人の横暴な振る舞いや悲惨な弾圧事件等が伴ったのは事実であり、忘れてはならない事です。しかし、清国からは辺境として見放されていた台湾に教育普及、衛生向上、産業・社会基盤整備などをもたらしたのは日本であり、それらが今日の台湾発展の基礎になっているのは明らかな事実です。また、少数ながら存在した教養や道徳に恵まれた上層階級の日本人の端正な姿や、労働階級であっても勤勉で規律を守る日本人の姿が、野蛮と言われても仕方のない生活を送っていた台湾人に与えた影響は大きなものでした。

戦後(中国国民党独裁時代)
 1945年、日華・太平洋戦争の敗北により日本は台湾の領有を放棄し、連合軍に引き渡しました。ここで注意しなくてはならないのは、台湾にやって来たのは中華民国軍ですが、連合軍総司令官の指示で台湾を預かったに過ぎず、台湾が中華民国の領土になったわけではない事です。
 しかし、国際社会で台湾の帰属が決まる前に、中華人民共和国との内戦に敗れた中華民国政権が、預かっているに過ぎない台湾に逃げ込んで来て、勝手に統治を始めてしまいました。その後1990年代まで白色テロと呼ばれる恐怖政治が続き、台湾人や台湾固有の文化は様々な形で抑圧されて来ました。

民主化以後
 経済成長などの好条件が重なった事や、大陸の中華人民共和国に比べて自由で民主的である事をアピールする必要性から、1990年前後より中華民国・中国国民党の独裁政治は徐々に緩み、政府内も台湾で生まれ育った台湾人が数多くなって来ました。つまり、中華民国敗残政権の内側から「台湾化」が進み、中国の一部ではなく、共和制民主国家としての独立した台湾が希求される様になったのです。そして、台湾派の政権を誕生させた2000年の大統領(總統)選挙によって真に台湾の民主化が証明されたと言えます。
 2008年の選挙では、中国国民党の大統領が当選し、再び政権交代が起こりました。しかし、その政策の基本は、中華人民共和国と歩み寄る、と言うより宿敵である筈の中華人民共和国の経済勢力に台湾を組み込ませて、経済繁栄の分け前を得ようと言うもので、台湾の為と言うより中国(中華人民共和国と中華民国敗残勢力)の事だけを考えたものであり、台湾人を失望させています。



台湾現代史のキーワード
台湾の帰属(領有権)
 1945年の日本のポツダム宣言受諾後、台湾は連合軍の管理下に入りました。この時、連合軍総司令官の命令で、代理として台湾を接収したのが中華民国軍で、この段階では台湾は法律上は日本の領土のままです。1952年のサンフランシスコ講和条約の発効により、日本は台湾に関する一切の権利を放棄しました。しかし、その後の台湾の帰属に関する国際間の取り決めは、今日まで存在していません。つまり、台湾は特定の国家や政権の領土とはなっておらず、国際法上は未だに連合軍による管理が続いている状態であり、軍政からの正常化、或いは台湾人による国家樹立が待たれている状態です。
中華民国と台湾
 1949年、中華人民共和国との内戦に敗れて崩壊した中華民国(中国国民党・蒋介石が独裁)の敗残勢力が、連合軍の指示で暫定的に預かっていた台湾へと逃亡し、その逃亡先を中華人民共和国への抵抗の根拠地として、力づくで支配してしまいました。喩えて言うと、支那(チャイナ/歴史的な中国固有の領土)と言う土俵から追い出された中華民国が、台湾と言う島の上に尻餅をつきながら、往生際悪く「ここだってまだ土俵の内だ」と遠吠えしている形です。
 その後、1980年頃までに、日本を含む国際社会は中華人民共和国を支那(チャイナ/歴史的な中国固有の領土)の正統政権と認め、中華民国は正式名称で呼ばれる事がなくなり、逃亡先の地名から台湾と通称される様になりました。つまり、中華民国と台湾はイコールの関係ではありません。中華民国敗残勢力は、台湾の他に福建省沿岸の一部の島嶼も依然として支配しています。先の尻餅の喩えで言えば、爪先が土俵に残ってはいます。「台湾」と言う名称には、台湾島を中心とする本来の地名と、中華民国敗残政権の通称と言う二つの意味がある事に注意する必要があります。また、場合によっては、福建省沿岸の島嶼を含む、中華民国敗残勢力の支配地全体が台湾と称される場合があ事にも注意を要します。
* 「支那」の語は、マスコミではタブー語となっていますが、歴史的に知られる中華諸王朝が勃興した土地を指して用いています。別な言い方をすると、現在の中華人民共和国の支配領域から満州、南モンゴル、東トルキスタン、チベットなど、戦後のドサクサ紛れや武力侵攻などで不法に領有された地域を除いた土地を指しています。
中華人民共和国の妨害
 中華人民共和国は台湾の領有を主張し、現に台湾を支配している中華民国敗残勢力や、本来の台湾の主である台湾人の国際的な活動をあらゆる形で妨害しています。この事から、日本の台湾派と呼ばれる人達の一部は中華人民共和国を盛んに批判しますが、その運動の中で反中共なら何でも良いと言う右翼団体とも手を組む事があり、しばしば誤解を受けています。
 しかし、中華民国敗残勢力が台湾にやって来さえしなければ、台湾がここまで中華人民共和国に虐げられる事は無かったわけです。台湾と中華人民共和国は本質的に無関係であり、中華人民共和国対中華民国敗残勢力の争いに台湾を巻き込ませてはならない、と言う冷静な態度が必要です。
 中華人民共和国としては中華民国敗残勢力は許せない存在ですが、それ以上に、台湾が中華民国としてではなく、中国とは無関係の台湾として独立する事を恐れています。そうなってしまうと台湾を自国領と主張する根拠が無くなるからです。実際、台湾独立の妨害工作を盛んに行っており、その為に中華民国・中国国民党の一部とも手を結び、また香港資本などを経由して台湾のマスコミの操作も試みています。日本の政府関係者やマスコミは、日中共同声明を曲解して、台湾が中国固有の領土であるかの様な発言をしばしばしますが、これも中華人民共和国の諸々の工作の結果と言えるでしょう。
 そもそも、1960年代頃までの中華人民共和国の論調は「中華民国勢力は負けて国外に逃げた、我々中華人民共和国こそが支那(チャイナ)の正統政権だ」と言う様なもので、台湾など眼中に無いと言う素振りでした。いつの間にか敵対勢力の逃亡先を自国領だと言い始めているわけですが、日本も含めて世界のどの国もその様な主張を相手にはしていません。いくら弱腰外交(お詫び外交)の日本であっても、行った事もない島を指差して「あそこはオレの領土」などと言う理屈は容認していません。
 実は、日中共同声明には、「(台湾を自国領だと表明する)中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重」すると言う文言があります。これは「中国さんがそこまで固執するなら、主張するだけなら勝手だよ」と言う意味であって、中国の台湾領有は決して認めていません。この様な文言は、殆どの国が中国との条約に盛り込まされており、毎度お馴染みの文句と化しています。

白色テロ
 中華民国の統治機構の汚職腐敗ぶりが凄まじいものであった事は良く知られています。台湾に移ってもそれは変わらず、台湾人に対して高圧的かつ暴力的な態度で臨みました。その結果、2.28事件と言う悲惨な虐殺事件が発生しました。下級官吏の横暴な取締に怒った台湾人に対して無差別に発砲したのを皮切りに、台湾全土で数万人以上が虐殺され、不法に連行され殺害されました。その後も戒厳令が布かれたままで、うっかり喫茶店で政治の話などしようものなら密告され、投獄されてしまう時代が1990年代まで続きました。朝鮮半島に比べて台湾人が親日的である事には、「日本統治時代の方がまだマシだった」と言う意識が関係していると言えます。
民族対立
 中華民国敗残政権は、中華人民共和国に対抗する必要上、台湾人を無理矢理に支那(チャイナ)化して従えるべく、支那(チャイナ)の言語や文化を押し付け、台湾の言語や文化は蔑視して来ました。中華民国敗残勢力と共に台湾に逃亡して来た支那人とその子孫(外省人と呼びます)は台湾の人口の十数パーセントです。支配階級、即ち、政府、軍、司法、国営企業などの幹部は殆ど彼等が占めています(この実態とそれに対する不満を省籍矛盾と呼びます)。
 一方、台湾人の中にも、支那(チャイナ)化を受け入れ、憎い筈の中華民国敗残政権の官公需受注や下級官吏となる事によって、それなり甘い汁を吸う者が登場して来ました。また、台湾人同士でも、独裁政権の密告制度を悪用して気に喰わない相手を陥れる様な例がありました。こうした出身地や生活背景による様々な較差や感情の対立は、現在も台湾の人々の間に表面からは見えない溝を残しています。比喩的な話として、台湾人はこうした心情を台湾語で語る事ができても、中国語では語り得ない(言葉は知っていても説明できない)と言われます。
民主台湾の現実
 2008年の大統領選挙で中国国民党が政権を奪還した事について、日本の親台湾派はしきりに嘆きますが、以上に書いた様な台湾の歴史的事情を殆どの台湾人は知りません。学校で教える筈もないし、マスコミも政府と中国国民党の監視やコントロールを直接的、間接的に受けているのが実情です。2000年からの8年間は確かに台湾派の大統領でしたが、国会は中国国民党が過半数を占めており、事毎に政策実行を妨害し、それを御用マスコミが実行力不足と批判して台湾派政権のイメージダウンを図ると言う構図になっていました。一方、中国国民党は、農協や町内会と言った身近なコミュニティーをも監視・集票システムとして支配しており、国会議員選挙で負ける事は殆どあり得ません。これも喩え話ですが、「日本人が台湾の歴史を良く知ってるのは結構だが、しかし、それでも国民党に投票せざるを得ない台湾人の気持は絶対に解らない」と言う科白があります。